D-トリプトファン(D-Trp) 

コラムD-トリプトファン(D-Trp)イメージ

本コラム「D-アミノ酸について」では、D-アミノ酸とはどんな物質か、どのようなものに含まれていて、どのように分析/製造されるのかなどについて、14回にわたってお伝えしてまいりました。15回目からは各D-アミノ酸の生体内の分布や生理学的意義など、D-アミノ酸1つずつに焦点をあててご紹介しています。

各D-アミノ酸紹介の第4弾、今回は、D-トリプトファン(D-Trp)です。

アミノ酸 分子量 略号 側鎖(R)

トリプトファン

(Tryptophan)

204.23 Trp W D-Trp側鎖

 

D-Trp

MolViewにて作成

トリプトファンはヒトの体内では十分量が合成出来ない必須アミノ酸の1つであって、側鎖にインドール環を持ち、芳香族アミノ酸に分類されます。

L体のTrpはセロトニンやメラトニンといったホルモンなどの前駆体として重要であり、適量の摂取は不眠症や精神安定、鎮痛などに効果があると言われています。

D体のTrpが示す生理機能の中で、病原菌に対する殺菌/抗菌作用についての研究を2つご紹介いたします。

乳製品、生牡蠣むき身など食品の腐敗抑制

まず一つ目はD-Trpが天然化合物で人体への悪影響が少ないため、D-Trpの食品保存料としての使用が注目されています。適切な塩濃度や冷蔵/高温といった温度処理など、他のストレスとともに使用された場合、グラム陽性およびグラム陰性の食中毒病原体に対して顕著な抗菌効果を示し、抗バイオフィルム効果も観察されることが示されています。

0~4%の塩を添加した培養液中での細菌増殖阻害効果を調べた研究では、タンパク質合成に関連する20種のアミノ酸を含む23種類のアミノ酸のL体およびD体についてその効果を調べました。実験にはリステリア菌、サルモネラ菌、大腸菌が用いられ、各アミノ酸の濃度は40mMでした。ほとんどのアミノ酸は細菌の増殖を阻害しませんでしたが、D-Trpは調べた細菌すべてに対して非常に有意な増殖阻害を示しました。ただし、その効果は細菌種と塩濃度によって異なり、サルモネラ菌と大腸菌は塩分濃度が3%を超えると大幅に抑制された一方で、リステリア菌は塩濃度0%で比較的増殖抑制が確認されました。D-Trpの効果が細菌の種類によって異なることは、グラム陽性菌(リステリア菌)とグラム陰性菌(サルモネラ菌、大腸菌)の違いを示していると考えられ、浸透圧ストレス時に適合溶質としてD-Trpを取り込むと、細菌の増殖が抑制される可能性があることを示しています。

培養液中ではなく、実際の食品を用いてD-Trpの抗菌効果を調べる研究も数多くおこなわれています。食品から単離された大腸菌で人為的に汚染させたアイスクリームにD-Trp(40mM)を添加して、-20℃で4週間保存した結果、対象サンプルと比較して細菌の増殖が大幅に減少することが明らかとなりました。

アイスクリームに接種した大腸菌O26に対するD-Trpの生育阻害効果 (-20℃)グラフ
アイスクリームに接種した大腸菌O26に対するD-Trpの生育阻害効果 (-20℃)
(参考・引用文献2 Fig.4より弊社加工)

大腸菌に汚染させたソフトチーズにD-Trpを添加した場合も同様に、4週間の保存期間中、D-Trpを添加しない場合と比較して細菌の増殖を有意に阻害しました。ソフトチーズの場合、含んでいるNaClの濃度を1.5%から3%に上げて同様の実験を行ったところ、低塩分濃度よりもより顕著な増殖抑制結果が示されました。

チーズに接種した大腸菌O26に対するD-Trpの生育阻害効果 (4℃)グラフ
チーズに接種した大腸菌O26に対するD-Trpの生育阻害効果 (4℃)
(参考・引用文献2 Fig.3より弊社加工)

生牡蠣のむき身を用いて、腸炎ビブリオに対するD-Trpの増殖抑制効果も調べられています。この研究では、ビブリオ細菌の増殖培地であるアルカリ性ペプトン水および人工海水に、人為的にビブリオ菌に感染させた牡蠣むき身を浸した状態で保存し、D-Trpの効果を調べました。その結果、人工海水だけでなく、魚介類等の食品から腸炎ビブリオを検出するための増菌培地であるアルカリ性ペプトン水においても、D-Trpは細菌の増殖を抑制しました。また、この実験においても、各浸液のNaCl濃度が高いほど(3.5%→5.0%)D-Trpがより強い成長阻害効果を示しました。

人工海水に浸漬したむき身生カキでの、異なるNaCl濃度における腸炎ビブリオの生存に対するD-Trpの影響 (25℃)グラフ
人工海水に浸漬したむき身生カキでの、異なるNaCl濃度における腸炎ビブリオの生存に対するD-Trpの影響 (25℃)
(参考・引用文献5 Fig.5より、弊社加工)

他にも鮭切り身を用いた低温保存研究も行われており、シェワネラ属菌とシュードモナス属菌に対しても、D-Trpが細菌増殖と腐敗の可能性を阻害することを示しています。

D-Trpの抗菌活性のメカニズムはまだ解明されていない点もありますが、病原細胞の初期接着を減らしたり、細胞外環境の特性を変えたりすることで病原細胞の弱体化に大きな影響を及ぼす可能性が高いと考えられています。

食品の保存技術が大きく進歩したにもかかわらず、令和5年における国内の食中毒発生件数は1,021件、患者数は11,803人報告されています。そのうち、細菌とウイルスによる食中毒はあわせて475件、患者数は1万人を超えており、国内で発生する食中毒の大半を占めています。食品の安全性を維持することは、公衆衛生上の重要事項です。D-Trpの利用が、より安全で安心、高品質な食品の提供につながることが期待されています。

令和5年 病因物質別 食中毒発生状況グラフ
令和5年 病因物質別 食中毒発生状況
(厚生労働省食中毒統計資料より、弊社作成)

腸内病原体および大腸炎病原体の増殖を阻害する

もう一つは、D-Trpが腸内の病原菌の増殖を抑え、腸炎を予防するはたらきがあることを明らかにした研究です。

D-アミノ酸は生体内では主に細菌によって作られていますが、ヒトの腸管に生息する100兆個にも及ぶ腸内細菌(腸内細菌叢や腸内フローラとよばれます)によっても生成され、生理機能を発することが知られています。

この研究では、まず、腸管病原細菌Citrobacter rodentiumの増殖における各D-アミノ酸の阻害効果を試験管内で比較しました。対照群と比較して、ほとんどのD-アミノ酸、特にD-メチオニン(D-Met)とD-Trpの添加により、マウスの腸管病原体の増殖が抑制されました。

腸管病原菌を各D-アミノ酸存在下で24時間培養した後のOD600値グラフ
腸管病原菌を各D-アミノ酸存在下で24時間培養した後のOD600値
(参考・引用文献7 Fig. 1Aより、弊社加工)

次にD-MetとD-Trpを添加した飼料を与えたマウスに腸管病原細菌を感染させ、生存率を観察しました。D-Metの投与は、感染マウスの生存率を大きくは上げず死亡日数を延長した一方で、D-Trpの投与は、感染マウスの生存率を用量依存的に改善しました。

対照飼料または、D-MetまたはD-Trpを添加した飼料を与えたマウスに腸管病原細菌を感染させた際のマウス生存率グラフ
対照飼料または、D-MetまたはD-Trpを添加した飼料を与えたマウスに
腸管病原細菌を感染させた際のマウス生存率 (*p<0.05; **p<0.01)
(参考・引用文献7 Fig. 1C、1Fより、弊社加工)

また、D-Trpを投与したマウスの糞便中の病原菌数を経時的に算定したところ、感染後3日目には糞便中に病原細菌が検出されましたがその後、減少することも確認されました。これらのことから、D-Trpが腸管病原細菌の増殖を抑え、感染性腸炎を抑制することを明らかにされました。

対照飼料または、L-TrpまたはD-Trpを添加を5%添加した飼料を与えたマウスに腸管病原細菌を感染させた後の、経時的な糞便中の病原菌数グラフ
対照飼料または、L-TrpまたはD-Trpを添加を5%添加した飼料を与えたマウスに
腸管病原細菌を感染させた後の、経時的な糞便中の病原菌数 (***p<0.001)
(参考・引用文献7 Fig. 1Iより、弊社加工)

このメカニズムとして、D-Trpは特定の腸内細菌の増殖を阻害することで腸炎を抑制している可能性があること、D-Trpが菌体内のトリプトファン代謝を変化させ、菌体内で増加するインドールアクリル酸が腸管病原細菌の増殖を抑制することも明らかとなりました。

腸内細菌叢で作られるD-Trpが腸の恒常性を調節する腸内環境調節因子として機能する可能性とともに、感染性腸炎に対する予防・治療への応用も期待されます。

参考・引用文献

  1. Shigenobu Koseki, Nobutaka Nakamura, Takeo Shiina: Journal of Food Protection, 78, 4, 819–824 (2015).
  2. Mahmoud Elafify, Noha M. Sadoma, Salah F. A. Abd El Aal, Mohamed A. Bayoumi, Tamer Ahmed Ismail: Animals (Basel), 12, 7: 922 (2022).
  3. Mahmoud Elafify, Wageh Sobhy Darwish, Marwa El-Toukhy, Basma M. Badawy, Rehab E. Mohamed, Radwa Reda Shata: International Journal of Food Microbiology, 364, 109534 (2022).
  4. Jian Chen, Rendi Yang, Yongzheng Wang, Shigenobu Koseki, Linglin Fu, Yanbo Wang: Food Microbiology, 108, 104104 (2022).
  5. Chen J, Kudo H, Kan K, Kawamura S, Koseki S: Applied and Environmental Microbiology, 84, 19, e01543-18 (2018).
  6. 厚生労働省 食中毒 統計資料 (https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/shokuhin/syokuchu/04.html)
  7. Natsumi Seki, Tatsuki Kimizuka, Monica Gondo, Genki Yamaguchi, Yuki Sugiura, Masahiro Akiyama, Kyosuke Yakabe, Jun Uchiyama, Seiichiro Higashi, Takeshi Haneda, Makoto Suematsu, Koji Hase, Yun-Gi Kim: iScience, 25, 8:104838 (2022).
  8. D型トリプトファンが腸内の病原菌の増殖を抑え 腸炎を予防することを発見 慶應義塾大学 プレスリリース 2022年8月19日
    (https://www.keio.ac.jp/ja/press-releases/files/2022/8/19/220819-1.pdf)

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