じつはそこにいたD-アミノ酸

Dアミノ酸の働き拡大図

前回のコラム「光学異性体(L体・D体)」では、アミノ酸の分類方法の一つとして、④光学異性体というものがあることをお伝えしました。

光学異性体とはちょうど右手と左手のようにお互いに鏡像の関係にあり、立体的に重ね合わせることができない2通り1対の異性体のことです。タンパク質を構成する20種類のアミノ酸のうち、グリシンを除く19種類のアミノ酸には光学異性体が存在し、L体、D体と呼ばれます。

生体のタンパク質は、基本的にL体のみが構成成分となっているため、長年、生体内ではL-アミノ酸のみが存在し、D-アミノ酸はごく限られた生物にしか存在しないと考えられてきました。

そのような中、D体のアミノ酸が含まれていることが古くから知られていたのは、細菌の細胞壁の主要構成成分であるペプチドグリカンです。

ペプチドグリカンはNーアセチルグルコサミンとNーアセチルムラミン酸が交互に連なった糖鎖がペプチドで架橋された網目構造を持っています。このペプチドの一部にD-アラニンやD-グルタミン酸などのD-アミノ酸が含まれています。

L体D体

これらペプチドグリカンに含まれるD-アミノ酸は、糖鎖を架橋構造にするだけでなく、タンパク質分解酵素であるプロテアーゼからの分解を免れることができ、また細菌の環境適応において重要な役割を果たしていると考えられています。

その他にも乳酸菌ではD-アスパラギン酸が、バンコマイシン耐性菌ではD-セリンが、ある種の超好熱菌ではD-リジンが、ペプチドグリカンの構成成分となっています。コレラ菌では、専用のラセマーゼがD-メチオニンとD-ロイシンを生成し、枯草菌はD-チロシンとD-フェニルアラニンを生成し、強力で弾力性のあるポリマーであるペプチドグリカンの合成を調節することにより、細菌が変化する環境条件に適応するための一般的な戦略である可能性も示唆されています。

一部の抗生物質は、このペプチドグリカン内のD-アミノ酸を標的にすることで細胞壁合成を阻害するという薬理作用を持っています。ペニシリンなど分子中にベータラクタム環をもつベータラクタム系抗生物質は、ペプチドグリカン合成の最終段階に関与するペニシリン結合タンパク質 (penicillin-binding protein:PBP)のトランスペプチダーゼ活性を阻害することにより、抗菌作用を示します。

一部の抗生物質は、このペプチドグリカン内のD-アミノ酸を標的にすることで細胞壁合成を阻害する

抗生物質の構造が細胞壁を形成するペプチドグリカンのD-アラニル-D-アラニン末端と類似していることから、PBPがD-アラニル-D-アラニン末端でなく抗生物質のほうに結合してしまうため細胞壁合成が阻害され、その結果として細菌の増殖が抑制されたり、溶菌を起こして殺菌作用を示します。

コラム04_バイオフィルムの形成抑制や解体にD-アミノ酸が関与

近年では、人体に悪影響をもたらすと考えられているバイオフィルム(*注)の形成抑制や解体にD-アミノ酸が関与していることが報告されています。

これら細菌にまつわるD-アミノ酸の研究は長年にわたって行われていますが、同時に、菌体内のD-アミノ酸合成や分解といったD-アミノ酸代謝酵素の研究の歴史とも重なり、現在のD-アミノ酸に関する知見の礎となっています。

コラム04_進むD-アミノ酸研究

(*注)バイオフィルム:
微生物が固形物や生物のからだの表面などに付着して集合体を形成し、微生物自身の産生する物質によって覆われている膜状のもの。微生物が産生する物質は細胞外マトリクス成分と呼ばれ、多糖体・タンパク質・DNAなどから成っている。微生物が外的要因(薬剤、体内の免疫反応、環境変化など)から身を守るために形成する。口腔内の細菌のかたまりである歯垢(プラーク)、お風呂や台所、花瓶の内壁のぬめりもバイオフィルムのひとつ。感染症の病原菌がバイオフィルムを形成した場合は、抗生物質や免疫が効きにくくなるため、治療することが困難だといわれている。

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