D-セリン(D-Ser)

D-SerがNMDA受容体の主要な調節因子である(D-セリンコラム)

本コラム「D-アミノ酸について」では、D-アミノ酸とはどんな物質か、どのようなものに含まれていて、どのように分析/製造されるのかなどについてお伝えしてまいりました。

各D-アミノ酸紹介の第3弾、今回は、D-セリン(D-Ser)です。

アミノ酸 分子量 略号 側鎖(R)

セリン
(Serine)

105.09 Ser S D-セリン

 

D-セリン分子構造

MolViewにて作成

Serはアミノ酸の構造の側鎖がヒドロキシメチル基(–CH2OH)になった構造を持つ、中性の親水性アミノ酸です。

遊離型D-Serは、昆虫のカイコ(蚕)体内に存在し、幼虫が蛹へと変態する際に一時的にD-Ser濃度が高まることから、D-Ser濃度とカイコ変態との関連性が指摘されていました。最近になり、哺乳類に最も近い無脊椎動物であるホヤにおいても、D-Serが幼体から成体への変態に必要であることが明らかにされました。尾部を持ち遊泳するホヤの幼生から固着生活を送る成体に近い幼若体へと変態する際に、長い尾部を体内に吸収する必要があるのですが、その尾部を吸収するスペースを形成するのにD-Serが関わっているのです。

D-Ser濃度とカイコ変態との関連性と哺乳類に最も近い無脊椎動物であるホヤにおいても、D-Serが幼体から成体への変態に必要であること(D-セリンコラム)

哺乳類においては1992年にラットの大脳皮質から遊離D-Serが発見され,その後ヒトやマウスの脳でもその存在が確認されました。また、ヒトの尿にも高濃度のD-Serが含まれていることが報告されています。

哺乳類の脳内の遊離D-Ser

ヒトを含め哺乳類の脳には高濃度のD-Serが含まれていて、大脳皮質における含量は他のD-アミノ酸はL体の0.1-1%程度の微量であるのに対して、D-SerはL-Serの約30%、数百µMもの高濃度で検出されています。一方で、脳以外の組織においてはD-Serはほとんど検出されず、魚類から鳥類などの脳では濃度が低いことから、遊離のD-Serは脳の進化、脳の高次機能に関与しているのではないかと考えられています。

事実、D-Serは学習や記憶といった、脳の高次機能に関与するN-methyl-D-aspartate (NMDA)受容体の機能に関与しています。

私たちの脳には、1000億個の神経細胞があると言われています。神経細胞はシナプスを介して互いにつながりあい、複雑なネットワークを形成しています。シナプスでの情報伝達は、神経伝達物質とその受容体であるイオンチャンネル型グルタミン酸受容体によって行われています。神経伝達物質が受容体に結合して受容体を活性化することで、隣の神経に情報(電気信号)を伝達し、この情報のやり取りが盛んにおこなわれると、シナプスの繋がりが強くなり、学習や記憶が行われると考えられています。

NMDA受容体はこのイオンチャンネル型グルタミン酸受容体の一種であり、神経伝達物質を受け取るシナプス後細胞の膜上に存在して、神経伝達物質としてのL-グルタミン酸(L-Glu)が結合する部位と、調節因子が結合するグリシン(Gly)結合部位を持っています。NMDA受容体はL-Gluが結合するだけでは活性化されず、活性化にはL-GluとともにGly結合部位へのGlyまたはD-Serの結合が必須です。哺乳動物の脳内にD-Serが高濃度で存在し、その局在がNMDA受容体の分布と類似することや、D-Ser生合成を担うセリンラセマーゼ(SR)を欠損するノックアウトマウスではシナプスNMDA受容体の活動が低下することなどから、現在ではD-SerがNMDA受容体の主要な調節因子であると考えられています。

NMDA受容体への刺激が強すぎたり弱すぎたりすることが、精神神経疾患の原因である可能性が指摘されています。

D-SerがNMDA受容体の主要な調節因子である(D-セリンコラム)

NMDA受容体への刺激が弱い場合は下流の神経に情報(電気信号)を送ることが出来ず、正常な機能が発揮できません。これは統合失調症の原因の一つに挙げられており、脳脊髄液中のD-Serが統合失調症患者では健常者と比して低いことや、統合失調症患者にD-Serを投与すると一部の症状が改善されることなどが報告されています。

逆にNMDA受容体への刺激が強すぎる場合は神経細胞が過剰興奮して刺激に耐えられなくなり、細胞自体が死を選ぶこと(神経細胞死)が知られています。アルツハイマー病や筋萎縮性側索硬化症などはNMDA受容体への刺激が強すぎることが原因の一つと考えられています。

これらのことから、精神神経疾患のバイオマーカー、あるいは創薬のターゲットとして、D-SerやD-Ser類縁化合物、D-Ser関連酵素の阻害物質に注目が集まっています。

慢性腎臓病と遊離D-Ser

慢性腎臓病(CKD)は世界的な問題であり、日本においても人口の約1割が罹患していると推定されています。腎臓病が進行すると致死的疾患の合併症のリスクが上昇しますが、すでに失われた腎臓の機能を取り戻す治療は現時点ではありません。原因となっている病気に対する治療を行い、病状を落ち着かせるとともに、その後の腎機能低下の進行を抑えるために適切な生活習慣の維持が大切とされています。

医薬基盤・健康・栄養研究所KAGAMIプロジェクト、大阪大学などからなる研究チームはD-Serがこの慢性腎臓病のバイオマーカーになることについて共同研究を行っています。

医療機関を受診した108人の慢性腎臓病患者の血漿中のD-アミノ酸濃度を二次元HPLC法を用いて測定したところ、16種類のD-アミノ酸が検出されました。そのうち、D-Ser、D-プロリン、およびD-アスパラギンのレベルは腎機能の指標となる推定糸球体濾過率(eGFR)と強く関連していることが分かりました。また、透析導入までの期間を検討したところ、D-Ser、D-アスパラギンの血中濃度が高いほどより早く透析導入になってしまう傾向があり、D-アミノ酸は腎臓病予後の予測に利用できる可能性があることが示されました。

D-SerおよびD-Asnのレベルと推定糸球体濾過率(eGFR)との相関グラフ(D-セリンコラム)
D-SerおよびD-Asnのレベルと推定糸球体濾過率(eGFR)との相関
(引用・参考文献11 Fig.S1より、弊社加工)

続いて、より正確に腎機能を評価できるバイオマーカーを見出すため、医療機関を受診した11人のCKD患者の、イヌリンクリアランスで厳格に評価した糸球体ろ過量(GFR)と血中D-Ser濃度、尿中D-Ser排泄率の関係が解析されました。その結果、実測GFR値が低いほど血中D-Ser濃度が高く、この相関は、従来の腎臓マーカーの相関と一致していました。尿中D-Ser排泄量については腎障害が進行していると考えられる患者ほど高まっていることが明らかとなりました。腎機能はまだ低下してないが腎障害が生じ始めているという早期段階であっても、血中D-Ser濃度は健常人と変わらないが、尿中D-セリン排泄量が高まっていることが明らかになったことで、尿中D-Ser排泄量は、腎障害の早期段階を検出できるバイオマーカーとして有望だと考えられる結果が得られています。

D-Serおよび従来の腎臓機能マーカーと実測糸球体濾過率(実測GFR)との相関グラフ(D-セリングラフ)
D-Serおよび従来の腎臓機能マーカーと実測糸球体濾過率(実測GFR)との相関
(引用・参考文献12 Fig.1Bより、弊社加工)

さらに研究が進められ、慢性腎臓病患者と健康な人の血中と尿中のD-Serを測定し、主成分分析という分析手法で分析した結果、D-Serを測定することによって慢性腎臓病の原疾患の特徴を捉えることができることが判明しました。適切な治療のためには腎臓病の原疾患を早期に診断することが極めて重要な課題ですが、現在のところ、慢性腎臓病の原疾患の診断には腎臓の一部を採取する生検しかないため、侵襲性の低いこの評価基準の確立に期待が寄せられています。

D-Serによる腎臓病の原疾患の主成分分析を用いての評価(D-セリンコラム)
D-Serによる腎臓病の原疾患の主成分分析を用いての評価
(引用・参考文献14 Fig.4Aより、弊社加工)

健常人と腎臓病患者の特徴が明確に異なることが判明。中でも、全身性エリテマトーデス(黄色)は、健常人(紫色)とD-セリンの特徴が大きく異なり、D-セリンと相関性があること判明した

また、ヒトの生体腎移植ドナーにおいて、片方の腎臓摘出後に血中D-Ser濃度が上昇することを見出した同じ研究グループは、腎移植ドナーモデル動物を用いて、腎臓に対するD-Serの作用を検討しました。その結果、D-Serを投与した残存腎臓において、血中D-Ser濃度が上昇し、細胞増殖が促進され、腎臓の臓器サイズが大きくなり機能を高めていることを見出しました。

D-Ser投与は片側腎摘出手術(UNX)後の腎臓肥大を促進するグラフ(D-セリンコラム)
D-Ser投与は片側腎摘出手術(UNX)後の腎臓肥大を促進する
(Sham:偽手術、*P<0.05, **P<0.01, ***P<0.001)
(引用・参考文献16 Fig.4A,4Bより、弊社加工)

これら一連の研究の成果によって、D-Serを測定することで慢性腎臓病の診断や腎臓機能推定、腎臓病の予後予測、原疾患の診断といった腎臓病の包括的な評価ができるようになり、さらにはこれまで有効な治療法が確立していなかった腎臓病の新しい治療方法開発への可能性が示されました。

今回は脳および腎臓におけるD-Serの生理的機能についてお伝えいたしました。

次回以降も各D-アミノ酸のご紹介をしてまいります。

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