D-アラニン(D-Ala)
本コラム「D-アミノ酸について」では、D-アミノ酸とはどんな物質か、どのようなものに含まれていて、どのように分析/製造されるのかなどについてお伝えしてまいりました。
今回からは、ひとつのD-アミノ酸に焦点をあてて、自然界や生体内での分布、生理機能についてご紹介してまいります。第1弾となる今回は、D-アラニン(D-Ala)です。
アミノ酸 | 分子量 | 略号 | 側鎖(R) | |
---|---|---|---|---|
アラニン |
89.09 | Ala | A |
MolViewにて作成
アラニンはグリシンに次いで分子量が2番目に小さなアミノ酸で、アミノ酸の構造の側鎖にメチル基(–CH3)を持っています。
ペプチドグリカンと抗生物質
もっとも広く知られているD-Alaの例は、細菌の細胞壁成分であるペプチドグリカンです。ペプチドグリカンはNーアセチルグルコサミンとNーアセチルムラミン酸が交互に連なった糖鎖がペプチドで架橋された網目構造を持っています。このペプチドの一部にD-Alaが用いられており、他にもD-Glu、D-Ser、D-AspなどのD-アミノ酸が含まれています。
これらペプチドグリカンに含まれるD-アミノ酸は、糖鎖を架橋構造にして細胞壁の堅牢度を増すだけでなく、タンパク質分解酵素であるプロテアーゼからの分解を免れることができ、また細菌の環境適応において重要な役割を果たしていると考えられています。
ペプチドグリカンの生合成に関与する酵素(D-Ala-D-Ala ペプチダーゼ)が菌体内で作用するとき、D-アラニル-D-アラニン(D-Ala-D-Ala)を基質として網目構造を形成していきます。抗生物質ペニシリンはこの基質と構造が類似しているために、酵素の触媒部位に入り込むことができ、基質であるD-Ala-D-Alaと酵素との反応を阻害します。それによってペプチドグリカンが生成されずに菌体が死滅する、というのがペニシリンの作用機構だと考えられています。
甲殻類/二枚貝とオスモライト
エビ/カニなどの甲殻類やシジミ/アサリなどの二枚貝には、遊離型のD-Alaが高濃度で存在することがわかっています。エビやカニなど甲殻類の筋肉や肝膵臓において,全遊離アラニンのうち30~60%がD体のアラニンになっています。また,ハマグリ、ホッキガイ、ミルガイ等の二枚貝にも高濃度でD-Alaが存在し,特にミルガイの水管では50 µmol/g湿重量に達します。しかしながら,同じ二枚貝であってもホタテガイ,アカガイ,カキ等ではD-Alaはほとんど検出されず、近縁種であっても分類群による大きな違いが見られます。
高濃度の海水中に置いて段階的に順応させる実験では、アメリカザリガニやクルマエビ、ハマグリでD-Ala量が増加していることが確認されており、D-Alaは細胞内浸透圧の調整に大きく関与していると考えられています。
D-Alaと呈味性
D-Alaは良好な呈味性を示すことも明らかになっています。カニやエビを食した際に感じる甘みは、先にお伝えしました浸透圧調整のために蓄積したD-Alaに由来するものであると言われています。日本酒の官能評価試験では、D-Alaが高濃度に含まれている日本酒は味や総合評価が高くなること、さらに、味や総合評価が低くアミノ酸濃度が低かった日本酒にDL-Alaを添加したところ、L-Alaを添加した場合と比較してより低濃度でうま味が向上することが認められました。
また、塩サバを米ぬかで発酵させたサバへしこの発酵・熟成に関する研究では、乳酸およびL-アミノ酸に加えてD-Alaを中心とした D-アミノ酸が多く生成することを明らかなり、特に,D-Alaは熟成サバへしこの特徴的な味と風味において重要な役割を持っていることが示されました。
新型ウィルス感染症の重症化予測
重症のCOVID-19患者の血液では、健常者と比較してD-Ala、D-Ser、D-Pro濃度が低いことが臨床データから明らかとなりました。また治療を受けることでD-AlaなどのD-アミノ酸の血中濃度が呼吸機能の回復に先行して急速に増加すること、この血中D-アミノ酸レベルの増加は、血液中のウィルスの消失と関連していましたが、炎症症状や血中サイトカインレベルとは関連していないことも確認されました。
インフルエンザ感染およびCOVID-19感染モデルマウスを用いた動物実験では、D-Alaを投与することで感染による体重減少や死亡率が低下し、D-Alaの投与が重症化を抑制することが認められました。
これら一連の研究成果から、COVID-19とインフルエンザウイルス感染症において、D-Alaを投与することで症状を緩和させる可能性があることや、D-Alaを含むD-アミノ酸をバイオマーカーとして早期段階での重症化予測や、治療効果判定が可能となることが示されました。
腎障害とD-Alaとの関係
急性腎障害モデルマウスにD-Alaを経口投与させたところ、D-Alaが血液中に移行し、腎保護作用を示すことが確認されました。また、急性腎障害患者の血漿D-AlaレベルとD-AlaとL-Alaの比率を評価したところ、健常対照群と比較して高くなっていました。さらに、D-Ala/L-Ala比の増加は血漿クレアチニンと相関し、腎機能の働きを示す推定糸球体濾過率eGFRと逆相関の関係であることがわかりました。このことから、D-Ala が有望な治療標的および急性腎障害の潜在的なバイオマーカーとなる可能性が示されました。
慢性腎臓病(CKD)患者についても血漿などの体液のD-アミノ酸分析も行われ、CKD 患者の血漿 D-Alaおよび血漿D-Ser濃度は健常者よりも高いこと、また、糖尿病併発のCKD患者の血漿D-Ala濃度はそうでない患者よりもより高いことがわかりました。
D-Alaが増加するメカニズムを解明するために、D-Ala供給源と考えられている体内の微生物叢に焦点を当て、口腔細菌叢としての唾液と、腸内細菌叢としての便の分析が行われました。その結果、D-Alaを産生する連鎖球菌の唾液中の量が糖尿病併発のCKD患者で増加し、血漿D-Ala濃度と正の相関関係にあることが明らかにされました。
レンサ球菌種によるD-Ala産生は腎疾患患者と健常対照者で同様に行われることから、血漿中D-Alaレベルの増加には、患者口腔中のレンサ球菌が関与していることが示唆され、血漿D-Alaが糖尿病併発のCKD患者の潜在的なバイオマーカーとなることが示唆されました。
D-Alaと腎機能については2つの臨床試験が実施されています。
一つは慢性腎臓病患者に対する酒粕を用いた食事療法によるパイロットランダム化比較試験(jRCT1040220095)で、CKD患者に対し酒粕摂取を追加したCKD食事療法を実施し、血中、便中、尿中の代謝産物及びD-アミノ酸の変化を、前向き非盲検ランダム化比較試験にて確認するものです。
もう一つはD-Ala摂取がアミノ酸代謝に及ぼす影響についての前向き観察研究(UMIN000051466)で、健康成人におけるD-Ala摂取がアミノ酸代謝に及ぼす影響を評価するものです。こちらの試験ではD-Ala摂取により、血漿および尿中のD-Ala濃度が上昇し、腎機能が正常な参加者では忍容性が良好であることがすでに報告されています。
アラニンはグリシンに次いで小さなアミノ酸と初めにお伝えいたしました。グリシンは不斉炭素がないため光学異性体は存在しませんので、D-Alaは分子量が一番小さなD-アミノ酸であると言えます。今回は一番小さなD-アミノ酸の大きな役割と可能性についてお伝えいたしました。
次回はD-アスパラギン酸(D-Asp)についてご紹介いたします。
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